こんばんは、こんにちは、おはようございます。バーチャルTS娘の九条悠姫です。
本記事では『不平等な中で少しでも幸せになれる方法』についてお話をします。
世の中にはお金を持っている人もいれば、貧乏な人もいるし、イケメンもいれば、不細工な人もいます。
身体的特徴、生まれた家庭環境、様々なことがありますが、どんな状況でも人間は幸せになる権利を持っているはずです。
では、幸せな人と不幸な人の差とは何なんでしょうか?
今回は私の経験をもとに幸せになる方法についてお話をします。
人間は生まれながらに不平等である
最初に理解して欲しいこととして『人間は生まれながらにして不平等』ということです。
お金持ちの家に生まれれば食事には不自由しませんし、欲しいものも手に入れることができます。反対に貧乏な家に生まれてしまうと今日の食事にも困ってしまうかもしれません。
顔立ちが整っていれば異性に好かれ、運動能力が優れていればプロの選手を目指すことだってできます。
『人間は平等』ということを色々なところで聞きますが私はそうは思いません。
本当に平等であるのであれば全員が同じような考え方、同じような食生活、同じような物の捉え方をするはずです。
しかし、現実はそうではありません。不平等に感じることはたくさんあります。
では、不平等であることはいけないことなのでしょうか?
これも私は違うと思います。
不平等であるからこそ、各々の個性が出て、様々な考え方が生まれて、人類は進化をしてきたのだと思います。
不平等だからこそ得意、不得意が生まれる
生まれてきた環境、学んできたことが違うからこそ『得意』、『不得意』が生まれます。
パソコンが得意な人もいれば、多言語を話せるようになる人もいます。遠投で50mを投げられる人もいれば、文章で人に感動を与えることもできる人もいます。
しかし、すべてができるような人はいません。人間はすべてができるようにはできていないのです。
できることとできないことがあるからこそ、人間は他の人に助けを求めたり、自分の力を相手のために使おうします。
好きなことを見つける
成功した人を見ると『あの人は才能があったからできたんだ』と思うことはないでしょうか?
私もそう思っていた時期がありました。
しかし、よくよく考えたり、成功した人に話を聞くと才能だけがすべてではなかったということに気付きます。
確かに才能『も』あったのかもしれません。しかし、それ以上に『好きで続けていた』という点が大きく関係しているようでした。
これは私の個人的な体験談です。
私はパソコンが大好きでした。最初はパソコンが起動するだけですごいと感じていましたし、文字を入力すると画面に出力されることに興奮していたことをいまでも覚えています。
小学生の時に夏休みの宿題をCDで提出してひどく怒られたこともあります。
インターネットにつながったときには様々なサイトを巡回していることもありました。
そしていつしか『パソコン関係の仕事をしたい』と思うようになっていました。
高校時代には親の会社が倒産するなどのトラブルもありましたが、一生懸命アルバイトをして貯金をし、専門学校に進学したことも今ではいい思い出です。
このように好きなことであれば自然と継続ができますし、やりたいことが次々出てくるのでできることも増えます。
多少の困難があったとしても好きなことを原動力として頑張れることでしょう。
好きなことを見つけることは『人生を豊かにしてくれる最大の資産』です。
好きなことを見つける方法
私の好きなことエピソードを聞いた人の中には『たまたま好きなことを見つけられただけ』という人もいます。
私もたまたま見つけられただけと思っています。
- もし、親がパソコンを操作しているところを見ていなければ、
- もし、親がパソコンを与えてくれなければ、
- もし、いきなり与えられたパソコンが自作機でなく組み立てられたものだったら
今、考えると色々なもしが積み重なった上でパソコンが好きになったのだと思います。
しかし、別の見方もできます。
- 親がパソコンを操作しているのを見て興味を持った -> 興味を持つことができた
- 興味があるから、やってみたいと親にお願いをした -> 興味を持った物を欲しいとお願いした
- 自作機を最後まで組み立てた -> 途中で投げ出さず最後までやりとげた
興味を持ったことは確かに偶然です。
しかし、興味を持ったことに対して必要な物をを与えてほしいとお願いをするという行動をし、自作機を与えられて最後までくみ上げるということは偶然だけではできませんでした。
興味を持ったことに対して、チャレンジを行い、一定の成果を出すことで更に興味が出る、これが好きであるということだと私は考えます。
好きなことは人にもいい影響を与える
好きなことは他の人にもいい影響を与えます。
自分は好きだけど他の人には苦手ということはたくさんあります。
例えば私はパソコンが好きです。パソコンに関する知識はパソコンが苦手な人よりも持っています。
そこにパソコンが苦手だけど絵が得意な人と出会いました。ちなみに私は絵が苦手です。
この時、お互いの得意を組み合わせれば何かができると思いませんか?
パソコンを使ってデジタルな絵を書ける環境を作れば、作業の効率が上がるかもしれません。
色々な絵を使って見栄えの良いWebサイトを作れるかもしれません。
一人の好きではできないことを二人の好きが組み合わさることでできるようになるのです。
他の好きが集まることでもっと大きなことができるようにもなります。
このように好きは他の人にも良い影響を与えてより良い物を作り出せるようになります。
さいごに
好きというのは興味を持つことの発展形だと私は考えます。
何にでも興味を持って、興味に対して様々な行動を起こすことで好きに近づいていきます。
もし、途中で挫折して苦手と感じても問題ありません。
それは苦手を知れたということです。
苦手を無理に続ける必要はありません。
大事なことは好きをどれだけ見つけられ、苦手を認識できるかということです。
苦手はそれを好きという別の人にお任せすればよいのです。
好きなことを極めれば幸せな人生が切り開けると私は信じています。